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裏シオラにて、スパンキングベンチの記事を更新しています。

アルファインMyダンジョン化計画
スパンキングベンチを使ったプレイ
こちらの記事にも書きましたが、アルファインでの私とのセッションの時に使用できます。



さて本日は「お仕置き」についてのお話。
近ごろお仕置きをする機会が偶然重なった。「お仕置き」という言葉には、なんだか甘美なロマンを感じる。その理由を改めて考えると、立場の違いが明確にそこにあるからだと思う。支配者のルールから逸れた時に、与えられる罰としての苦痛。マゾの立場の小ささを実感する時。
SM行為の中でのお仕置きにエロスを感じるのは、そのルールがいくら理不尽であっても被支配者は受け入れなければいけないからだと思う。でも、その理不尽は実は強制のようで、本当の強制ではない。選択された強制。強制を私の力で選択させることに支配を感じる。

私はマゾに束縛をしないので、支配欲、独占欲が弱いと思われるけれど、ある意味ではかなり強い方だと思う。嫌がるのを無理に従わせるのではなくて、従いたいと心から思わせたい。そちらの方が、深く支配、独占していることになると思う。心の一番大事な真ん中の特等席に私という存在を刻みたい。

私のルールに逸れたマゾへお仕置きをしている時、そんなことが一纏めになって感覚を刺激する。
お仕置きをする時の罪は軽いものから重いものと様々だけど、本当に怒りを感じている段階ではお仕置きはできない。怒りが冷めたころに、お仕置きができる。罰は罪を赦す為にある。お仕置きは赦す為の行為だ。
そして、お仕置きは私の怒りが大きかった時程、私自身が興奮してしまう。対峙しているマゾも同じように、昂ぶる。お互い不条理だなと思う。きっと、それほど感情が動き合う関係と、没頭してしまうほど真剣であることが大切なんだと思う。
不思議だけど、私たちはそこで興奮してしまうんだ。支配をリアルに感じる時に。


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