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「何でもします」と言われるのが好きではありません。
何でも、なんてできるはずがないから。
その言葉が出た途端にストーリープレイになってしまうような気がする。
ストーリープレイが嫌いなわけではない。

でも、本当になんでもするんだろうな、と感じるられる子がいます。
その子は「僕はSMが好きなのかわからない」と言う。
確かにその子はMの癖を持っているに違いないのだけど、私もこの子とSMをするのはなにか違うような気がしていた。
それは「何でも」を所謂、ホテルに籠もってするSMプレイに限ってしている時点で矛盾しているような気がするし、
それを超えた方が真実に近づくように感じていたから。

SMプレイを長く続けると、個人への思いが強くなる。
このプレイをどうしてもしたいというよりも一緒の時間を過ごして、近くにいきたい
という風に変わっていくと思うし、そうでなくては長く続かないんじゃないかな。

件の子は、SMよりも「私」という個人の方が、圧倒的に優先されている。
極端な例だと思う。
一緒の時間を過ごすことが何よりも大事で、その時間を私が楽しく思い、笑顔でいるのを見たい、って、ね。

きっと、私が「私が気持ち良くなるから、唾をかけて」と言ったら、やるんじゃなかろうか。

最早、SMなのか、わからない。
だけど、SMという定義は後から付いてくる方が自然であると思う。
小さい頃から、妄想していた世界は大人になったら「SM」と呼ばれるものだったの。

鞭や縄や蝋燭を使わないでも、いや、それらは使っても使わなくても良くて
支配ができればそれでいい。
逆に言うならば、支配を感じられないならば、プレイは面白くない。

所謂SMプレイをしなくなったら、とても彼とはしっくりきた。
きっと彼もしっくりきていると思う。

SMプレイの拘りから離れた時に、私達はSMを手にしたと、感じる。

でも生憎私には、サドの癖があるから、もっと、涙が滲むほど酷くしてあげるから安心しな。
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